2016年3月12日土曜日

思い出

 3月11日だ。5年前は引っ越しの直前で、お金をつくるべくまんだらけの買取コーナーにいた。上部のモニターは揺れ、廊下に置いてあるGケースをスタッフの人が支えていた(先日その支えていた方に本を査定していただいた)。余震の続くなか中古レコード屋にも行って、一旦退避したりしながら何とかレコードを売却。バスで中野から池袋に帰ると公衆電話に行列ができ、明治通りは人で埋まっていた。 次の日は、当時のバイト先だった新刊書店のネット部門に出勤。いつも利用してくださっていた被災地の転売屋さん(複数名)の安否を気遣う声が聞かれた。
 13日に、赤帽さんが来た。「仙台に物資を運んだ帰りなんだよ!」「いまガソリンが足りねえだろ、ガソリンの追加が来る"時間"を電話で問い合わせるんだよ。そうしたらすぐに入れられるから!」「まえはゼネコンにいて、あの原発の建屋は俺が作ったんだよ!」「ああいう大きい建築は、何かあったときに責任を分散させられるように、ゼネコンが共同でつくるんだよ!」……本当か嘘かもわからない話を聞きながら、雑司が谷から青梅街道を抜けて、節電で薄暗い練馬区についた。
 14日、15日と豆ちゃんの実家の車で荷物を運んだ。豆ちゃんの父親が地震前日にガソリンを満タンに入れていたおかげでスムースにものを運ぶことができた。途中、池袋のさくらやでテレビなどを購入。海江田万里の花粉症が日に日に悪化していた。15日は雑司が谷の物件の解約日。よくしてくださった大家さんにせんべいを渡し、「頑張ってね」と言われる。
 16日からバイトへ復帰。沖縄に帰省していた同僚が帰省したまま戻ってこないなどのトラブルがありながら、十数日後、物流がおおむね復帰。
 すると、いつものように、被災地から、とても人ひとりが関心を持てない幅広いジャンルの本を数十冊ご注文いただいて、転売屋さんは無事だったのかとホッとしたのを覚えている。
 そのとき、被災した地域へ一番梱包して送ったのは、詩でも文学でも写真でもジャーナリズムでもなく、受験参考書だった。